九州激走!失意(?)の帰郷物語!!

時期:
走行距離;約80km(走行時間6時間半)
 会社(某育児器具メーカ)を辞めて失業保険を受給するまで生活費を抑えるために、とりあえず実家に帰ろうと決意しました。(ゴールデンウィークに帰れなかったし。。。)
 実家に帰るにあたり、自由な時間がたくさんできるわけだから、ただ帰るのももったいないと思い、新たな帰省方法をいろいろと検討した結果、時間はかかるけど安いし、船の旅なんて時間がないとめったに乗れないという点で、船+自転車で帰ることとしました。(自転車を梱包して送ることが面倒だということもありましたが)
 ドタバタと引越しの準備を何とか終わらせ、いままでの住処(墨田区は本所)をいざ出発。と思ったら、フェリーに乗り遅れちゃった!
道に迷いに 迷って青海(東京)のフェリー埠頭にたどり着くと同時に汽笛が鳴り響き、乗るはずだった船は目前を出港していました・・・・。(土砂降りの雨の中呆然と立 ち尽くす私・・・。周りは、一面運送業者のコンテナ置き場で人気のなさに加え夜ということもあり寂しさがひとしお・・・)
 自宅に戻るにも、部屋を不動産屋さんに引き渡しちゃったので夜露をしのぐ場所がなく、仕方ないので浅草に戻り、浅草ロック座の上にある思い出(年越しの京旅行で自宅の鍵を失くした時にも利用)のサウナ屋さんに一晩お世話になりました。湯船に浸かり、ずぶぬれになって冷え切った体を暖めることができてよかった!
 その翌日、船の乗船時間は19時なので、夜まで時間をつぶそうと、浅草界隈で、映画鑑賞(「ミッション・トゥー・マーズ」)や、東京最後の食事として大黒屋の天丼をたべました。
なんだかんだで、時が過ぎて日も暮れてきたので、そろそろ出立の時と悟り、「ジャイアント号」に乗って、再びフェリー乗り場まで疾走しました。
(ここからが本題!)
 小雨の中、今度は余裕をもって青海フェリー埠頭に着きました。
ちなみに青海フェリー埠頭は、東京のお台場をさらに南に行ったところで、周りは貨物業社のトラックとコンテナばっかりで夜になると人気がほとんどなく物寂しいところです。はじめてなら道に迷うはずです。
Pic.1 名残惜しくも東京を離れる時が刻一刻と・・・(東京最後となる場所、かなりもの寂しい青海のフェリー乗り場の概観を撮影)
Pic.2 これが私の乗船する船(今からジャイアント号を船に積み込むところ)
一等~3等客室を有する結構大きなフェリー。使い捨てカメラ(「写るんです」)で撮ったので見難くてごめん。
設備は、シャワー室、浴場、売店、ゲームコーナ、テレビラウンジ、食事時にのみ開店する食堂があり、
今回私は予算の都合上最も安い3等客室(通称たこ部屋)で船の旅を過ごしました。
Pic.3 19:00過ぎに出港!東京とは暫しの別れ・・・(出港して遠く離れていく東京(お台場付近)の灯火)

出港して、甲板から遠く離れる東京を眺める。「I’ll be back!」と心の中でつぶやいてみる。。。
Pic.4 一夜明けて・・・(私の将来を暗示しているのか?行く手は雲行き悪し!)
Pic.5 太平洋の彼方を眺める。(やっぱり海は広いな大きいな!)
天候が悪かった成果海が荒れてて、ちょっと船酔い気味・・・。

Pic.6 船上で1夜を明かした早朝。紀伊半島を通過。この向こうに大阪のみんな(退職した会社の同僚)がいるんだなあと思い、手を振る(心の中で)。
Pic.7 客室(2等以上の個室があるとこ)と映画「タイタニック」でディカプリオが登ったマスト!?
登ってはいけないらしい・・・。
Pic.8 遠のく陸地と長く伸びて水面に残る船の跡(なんかセンチメンタルな気分に!)

Pic.9 二日目の早朝5:00九州(北九州の新門司港)に上陸!(これから自転車に乗って、いざ福岡市内へ!)
Pic.10 上陸後3時間・・・。ようやく、北九州市街に入る。福岡市まで63キロ!
(ここにたどり着くまでが一番大変だった。人気はないし、上り下りが激しいし・・・。
こういった旅で助けになるのが、コンビニで立ち読みする地図と方位磁針つきの腕時計”Protract”!
Pic.11 自転車をこいで6時間。ようやく福岡市へ突入!
・・・と、以上の過程を通じて、走行距離約80km、走行時間6時間半かけて、姉貴の住む福岡市内へ無事到着し ました。汗だくでくたくたになったけど、到着したころには天気も晴れて達成感もあり、気分爽快!
姉貴の家に一晩泊まり(宿代として、姉貴のパソコンの修理をしつつ)、翌 朝実家のある熊本へ!と思ったけど、自転車の調子も悪かったし、距離が倍近くありヒルクライムの難所が多々あるので、すんなり自転車で行くことをあきらめ て、ぼろぼろのジャイアント号を見捨てて電車(西鉄で大牟田→JR乗換え)で帰りました。
 以上が、長い長い私の帰郷の旅でした。
昔々の時代に都落ちした歴史的に有名な人物、たとえば九州(大宰府)に左遷された菅原道真や土佐へ左遷された紀貫之もこんなに大変だったのでしょうね!
 ホンとはもっとたくさん写真とったんだけど、使い捨てカメラをポケットに入れてたら紙のカバーが汗でぼろぼろになって、光が漏れてフィルムがところどころだめになってました!
 この無謀かつ壮大な冒険により、ぼろぼろになったのはカメラだけでなく、腕の皮がぼろぼろにむけるほど日焼けするし、ジャイアント号のチェーンがちょっと壊れてしまった。
 リスクが大きかった分、結構楽しかった!(この年になってこんな馬鹿選択をする奴はわたしだけ!?)
なお、長距離サイクリングの際は最低限の工具と修理パーツ、走行前のメンテは十分に!!

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